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memo > 徒然
最近わたしはバレなきゃ何しても良いと思っている。
バレないというのは他者に観測されないということ。
観測されないということは存在しないに等しい。
何か起きていたとしても存在しないのだから問題にも挙がらない。
でもこれはその瞬間だけが観測されなかったという話ではなく、以降ずっと観測されないというのが条件だ。
何かをすれば痕跡は残る、人の目はもちろん街中の監視カメラ、人に限らず犬や猫などの動物、いずれ誰かが何かを見付ける。
見付かるということは観測されるということで、バレなきゃという論理は破綻する。
だからバレなきゃ何しても良いというのは真理ではあるけど、その行為は成立しないんだよという戒めでもある。
端的に言えば、どうせバレるから悪いことすんなってことなんだけど。
とある業界のとあるグループ、その中では見劣りする人@Aさんがいる。
しかし他のグループを見るとAさんのグループは業界でも上位だったことに気付く。
グループとしては下位でも業界としては上位。世界は残酷だ。
人間の技術というかテクニックというか、そういう言語化するほどの事でもないけど、それがあることで上手くいくことみたいなものが、どんどんAIで処理できるようになっていって、フィクションでありがちな、かつて世界には超高度な古代文明があった、みたいなことになるのかもしれない。
テセウスの船というのがあるけど、この問いの答えは「何を船=対象とするかで変わる」というのが答え。などということを考えてみた。
替えの効かないパーツが変われば別物、パーツというのは船の部品に限らず船員や環境、目的など船自体に限ったものではない。
船という物体でみれば全ての部品が変われば別物だけど、船を取り巻く全てを1つのグループとして見れば名前と目的が変わらなければ同一の船と思えるかもしれない。
っていうのをアイドルのライブを見ながら思った。
世の中、差別・区別・優遇を同じものとして語っている人が多いように感じる。
理由・原因・結果・責任、この辺りもまぜこぜになってる人が多いと思う。
無知なことは悪いことではない、無知ゆえに無謀な挑戦もできるというものだ。
しかし知識が増えると未知なことに踏み込むのに勇気が必要になる。
持てぬ勇気より知らぬ無謀といったところか。
シュレディンガーの猫という話がある。
バレなきゃ存在しないと同じという考えもシュレディンガー的なものだなと思った。
冒頭のトウジョウカイという発言から大東真と新城優、2人で1人の東城真というシナリオだと予想する。同じように考えている人も多くいる模様。
あとなんかすごく映像と曲が相まってなんかすごく心に響く。
終わりよければすべてよしじゃないという曲を目にしまして、私は思いました。
終わりよければすべてよし、過程よければさらによし、どちらも悪けりゃ仕方なし。
こうじゃないかな。あと語呂が良い。
最近の写真加工は本当に自然になって一見しただけじゃ気付かないことが多い、いや、自然になったのではなく見慣れただけかもしれない。
「あけましておめでとう」ってみんな言うけど、おめでたくない人もいるかもしれないから、もう結構前から「今年もよろしく」としか言わないことにしてる。
というわけで、今年もよろしくお願い致します。
いわく独り言を言う理由のひとつに、自分の思考を口に出すことで整理しているというものがあるそうだ。
こうして文字起こしすることも同じようなものなのかもしれない。
最近はこうして書き残すよりも対話型AIにぶつけていることが多い、 リアクションがあるから考えをより整理できる気がする。
おまえら何したって文句いうんだから提供する側がイイと思うものを提供するほかないんだよ。 それで成功するか失敗するか、満足するか文句いうか、これは何をどうこうするという話とは別の問題なんだよ。
「PS5とゲーミングPC、どっち買ったらいいかなー」って声、まま目にする。
ゲームだけをやる+やりたいタイトルがPS5にあるならPS5にしなさい。 PCのトラブルに対処できる+ゲーム以外の作業もするならPCにしなさいと言いたい。
基本的にゲームにしか利用しないなら家庭用ゲーム機が最適だ、ゲーム機には決まったパーツ構成しかないからだ。 しかしパソコンってやつはホントに千差万別、パーツの性能差はピンキリで組み合わせも計り知れない。 ゲームの動作トラブルはもちろん、パソコン自体のトラブルにも対応できないと持て余すこと間違いなし。
値段の問題もあるけど、まあ割愛。
もうほんとどこを見ても不満ばかりで、この人たちはどうしたら満足するのか。
不満を漏らす人が同じ人ではないのも分かるし、満足する内容が違うことも分かるけど、ネガティブな声ばかり聞こえてくる世の中ほんとめんどくさい。
めんどくさいって言ってる私も同類か。